双極性障害Ⅱ型の日々

双極性障害(躁うつ病)の日々の記録、その他

躁転、鬱転

よく双極性障害の患者は躁転、鬱転という言葉を使います。
意味は読んで字のごとく、躁転→鬱から躁へ転じること、鬱転→躁から鬱へ転じることです。これがまたこの病気を面倒くさくしています。

躁転した場合、本人的には昨日説明したようにハイテンショーン、ひゃっほーになるので楽しいし、パワーは出るし、私は軽躁なのでかわいい浪費をする程度で楽なんです。楽なんですけど、躁転した時にがっつりとやらかしちゃう人にはこれも苦痛なんです。だって鬱転してから自分がやらかしたことを思い出しては後悔にさいなまれるから。しかし私程度の軽躁だと「ずーっと軽躁でいてー」と思うこともしばしばです。

躁転しているととにかくパワーがあるので眠らなくても平気(いや、本当に寝ないとつぶれますけど)、食べなくても平気(いや、本気で食べないと倒れますけど)、そんな状態でがしがし動けるし、気分はハイテンショーンなので箸が転がっても楽しいし、家族と電話で話していても「なんかテンション高いよ、ケラケラ笑いまくってるよ」と指摘され、はっ、やっぱり私軽躁だ、と再認識するわけです。


一方鬱転すると一言で地獄。
基本的に何もできない廃人が転がっていると思ってください。ベッドに寝たきり、趣味もまったく楽しめず、眠れなく(過眠になる場合もあります)、食欲もなく(過食になる場合もあります)、お風呂に入るハードルの高さったらもうビルを飛び越えるくらいの勢いが必要で、鬱の間は何週間もお風呂にすら入れない人もいます。掃除?無理無理。何もできないことを訴える私に主治医は「お風呂に入れなくても死なない、掃除をしなくても死なない。ご飯を食べて、薬を飲んで、眠る、これができれば十分や」といいいました。おお、そうか!と思った私はこれを鬱の時の格言に据え置きました。まあこの格言を守るのもなかなか大変なんですけどね。

私は一人暮らしなのでご飯を食べるためには買い物に出なくてはいけないわけです。そこで自分で決め事を作りました。「どんなにしんどくても1日1回は家を出る」。ついでに調理なんてこれまた無理ゲーなので、スーパーでお惣菜を買ってくる、というミッションを作りました。幸いこれは今のところ守れていますが、何せ廃人、歩いているだけで体力の消耗が半端無いんです。躁の時のパワーを100としたら、鬱の時のパワーはマイナス100です。このマイナス100の状態でよろよろとスーパーに出かけるのは本当にしんどい。ちなみにマイナス100なので、店内のあちこちを見るパワーもありません。お惣菜売り場に直行し、ぱっと目についた食べられそうなものをかごに放り込んで、終わりです。また帰り道のビニールバッグの重いこと重いこと!実際は重くないんですけど、20キロくらいの重りをつけられているような気がします。そして家へ帰ってきて荷物を放り出し、座り込んではーはーします。

大げさだと思うでしょ?しかしこれが鬱状態にある時の実態です。