双極性障害Ⅱ型の日々

双極性障害(躁うつ病)の日々の記録、その他

双極性障害と診断されるまで(上)

1年半前に双極性障害Ⅱ型と診断された私ですが、それまではどうだったのか?について書いてみたいと思います。あ、ADDとパニック障害についてはまた別の機会に触れます、どっちも話が長くなるので。

初めて精神科の門をくぐったのは27歳のときです。それまでフルパワーで働いていたのですが、ある日起きると当時飼っていた猫が可愛くないんです。どんなに疲れた時でも猫を見ると癒やされていたのに、無感情。あ、頭が壊れた、と思い「猫がかわいくな~い」と大泣きしました。一緒に住んでいた彼氏に連れられて行った精神科は古くて牢獄のような雰囲気を醸し出していました。待合室にいる人達も一見して「ちょっとこれは…」という感じ。

ビビりながらも診察室へ呼ばれると、いかにも優しそうな女医さんがいました。丁寧に私の話を聞き、私が「うつ病」であること、薬で治癒することを説明してくれました。後にこの先生は独立してクリニックを始められたので、私も尻尾を振ってそこへ転院しました。ここで寛解(あえて寛解という)するまで長~くお世話になりました。

そして寛解後、2年もせずに再びうつらしき症状が出始めました。今度はこわれる前にわかったので、再び女医さんの元へ駆け込んだら、先生が手術でしばらくお休みするというので、紹介状をもらって別なクリニックへ行ってみると「二度と来るか!」とこちらからお断りしたくなるようなクリニックをかわしながら、とりあえず近場のクリニックに通うことにしました。


女医さんの丁寧な診察に慣れていた私ですが、ここは患者の目もみない、3分診療なクリニックで、私も薬さえ出してもらえればそれでいいと割り切って通っていました。こんなところに通っているならインドに行ったほうがさっさと治るわ(インド旅行が趣味なのです)、とインドへすっ飛んでいきました。

ほらね、このあたりからおかしいでしょう。
うつで寝込んでいる人がインドなんか行けないから!とはいえ、インドって行ってみるとうつの治りかけの人なんかが結構来てるんですよ。なので別におかしいとも思っていなかったんですよね。

その後は身体を壊して入院し、それを機に一旦実家へ引き上げて、慣れない派遣社員として働いていました。そこでパニック発作が出まくり、併せてうつの症状も出始めました。パニック障害に強い病院として紹介されたクリニックへ通い、仕事も辞め、本当にリビングのソファで毛布にくるまって、朦朧としながらTVを眺めて暮らしていました。半年程度そんな生活をしていたら、ある日TVでインドの特集をやっていました。涙がポロポロ出てきて「インドに行きたい」と蚊の泣くような声で言いました。すると母親が「インドは最長どれくらいいられるの?」ときいてきました。

半年だよ、というと

「じゃあ、あなた半年インド行ってきなさい!今の生活してたってうつが治るのに時間がかかる。半年で治るなら安いものだわ。お金貸してあげるからインドに行ってきなさい!」

と言うじゃないですか。インドに行ける、そう思っただけで頭の曇りがぱーっと晴れるような気がしました。
ね、怪しいでしょ~。だからそんな寝込んでた人がいきなり体力も落ちてるのに過酷なインドに半年なんて行けないんですよ、普通に考えて。それが喜々として準備を始めて、本当に半年行っちゃいましたよ。そしてくすりの副作用で太った身体もすっきりと元に戻って元気に帰って来ました、しかもハイテンショーンで。

続きはまた~。